てくてく日:2025/04/19
いつもより遅くなった夜。
翌朝は登山の予定だったけれど、目が覚めたのは予定より遅い時間でした。
それでも、計画を変更して、東広島市河内町にある篁山(たかむらやま)へ赤線繋ぎに出発。
町歩きと春の山ツツジに癒された、そんな一日のお話です。
てくてく場所
篁山
〒739-2208 広島県東広島市河内町入野
篁山(Googleマップへ)
距離 14.3km 登り 557m 下り 553m
てくてく感想
寝坊してしまった朝
昨日の夜。
諸事情あり寝るのが遅くなってしまった。
いつも22時には就寝するよう心掛けているわたし。
しかしベッドに入るのが24時を過ぎていた。
予定している山に登には朝3時には起きて4時には自宅を出発しなければならない。
起きれるかな~。
そう思いながらベッドに入る。
で、気づいたのが朝の6時前。
寝坊してしまった。
まあ仕方ない。
こういうときもあるさ。
赤線繋ぎに出発
こうした状況に備えて様々なバリエーションの山行計画を用意している。
その中からこの度選んだのはお隣の市のお山に赤線繋ぎ目的で登るコース。
早々に準備をしてスクーターに乗って出かける。
やって来たのは東広島市河内町にあるJR山陽本線河内駅。
河内駅自転車駐車場にスクーターを停めさせていただき出発する。
登るお山は篁山。
河内駅方面から登ることもできるが今日は赤線繋ぎが目的。
お隣の入野駅まで歩いてそこから登り河内駅へ戻るといったコースだ。
入野駅まで歩く
昭和初期には賑わっていたのだろう。
河内の町並みを見ながら入野駅に向かう。
しばらく歩き交差点へ。
県北の山に登る際はいつもこの交差点を右折する。
今日はこのまま直進だ。
しかしここを歩くだなんて予想だにしていなかった。
赤線繋ぎをしていなかったら生涯歩くこともなかっただろう。
赤線繋ぎがてら山の周辺の町や街道筋を歩くことがある。
いつも車で通り過ぎるが歩いて初めて気づくこともある。
赤線繋ぎもなかなか楽しいのだ。
今日も野に咲く春の花々に酔いしれながら歩みを進める。
そして一時間余りで入野駅へ。
名水篁水へ
入野駅前から篁山の登山口に向かう。
しばらくは車道。
その先に篁水なる案内板。
名水篁水の取水場だ。
以前妻と篁山に登ったことがある。
その際にこちらで水をいただいて家に帰ってウイスキーの水割りに使用させていただいた。
こちらの取水場では硬水と軟水のそれぞれの取水場があり今日は硬水をいただく。
グビッ。
おいしい。
ありがとうございました。
これから夏場になると山登りをする人にとって助かる取水場だ。
山ツツジと笑顔のおばあさん
名水篁水の取水場の隣に篁山へと続く道が延びている。
少し歩くと満開の山ツツジがわたしを出迎えてくれた。
篁山は山ツツジの自生地のようであちらこちらで美しいピンク色の花を咲かせていた。
眠たくはないが目が覚めるほどのピンクの花だ。
そんな山ツツジが咲いている木の傍でおばあさんが1人休んでおられた。
これから篁山まで登ってきますと伝える。
満面の笑みで行ってらっしゃいと声をかけてくれた。
わたしはおばあさんの笑顔が好きだ。
屈託のない笑顔に心が癒される。
篁山登山口と小野篁伝説
登山口付近は地元の有志により公園として整備されている。
篁山の名の由来となった平安時代初期に活躍した公卿である小野篁に関する石像も設置されている。(写真はこちら)
小野篁(おのの たかむら)の物語
その昔。
篁山の麓の入野の里に八千代という女性がおられた。
山の頂上付近に建立されている竹林寺のご本尊を信仰していた八千代。
子どもがほしいと千日の参詣を続けられていた満願の日の夜半のこと。
お堂の中からひとりの童子が現れて五色の玉を八千代にお授けになった。
その後八千代は男子を出産。
生まれた子は自ら「吾はこれ篁なり」と名乗るではないか。
篁と名付けられた子は八千代により大切に育てられる。
篁が12歳のときに郷里を離れて平安京へ。
京で勉学に励み、学芸、詩歌に優れ、その誉は天下に知れ渡るように。
18歳になり関白の小野大臣良相の娘と結婚。
小野家を継ぎ小野篁と称するようになる。
篁は嵯峨天皇に仕えるようになると参議という閣僚級の高位まで上り詰め大活躍する。
しかし遣唐副使に任ぜられた際に大使と争い病として渡航しなかったため流罪となってしまう。
その後許されて帰京するが病気により永眠する。
昼間は朝廷で官吏、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある。
松ヶ嶽城跡へ寄り道
登山道を歩いていると滝が見えてきた。
度重なる豪雨のため荒れてはいるがその名は姫路滝。
その先の分岐から松ヶ嶽城跡へ寄り道。
本丸跡、二の丸跡、井戸跡、石垣跡が残る。
竹林寺へ
分岐に戻り、竹林寺方面へ向かう。
仁王門をくぐり境内へ。
静かな風が吹き抜ける中、ご本尊様にご挨拶。
鐘堂から眺める景色も素晴らしかった。
篁山山頂へ
竹林寺の裏手にある篁山の山頂へ向かう。
展望はないが、五輪塔の一部らしきものを発見。
かつて何か祀られていた場所かもしれない。
下山して町へ
仁王門から下山し、河内駅方面へ。
駅前の食堂は残念ながらお休みだったが、家でゆっくり昼ごはんにすることにした。
ふりかえり
過去に登った山でも、季節が違えばまた違う表情を見せてくれる。
今回は、春の山ツツジに癒された一日だった。
さて、次はどこの山へ行こうか。
小野篁に誘われ、間違っても地獄の山に登らないようにしなければ……。
つづく。
てくてく道のり

朝寝坊してしまいましたので近場の山に登ることにしました。
JR山陽本線の河内駅前自転車駐車場にスクーターを停めさせていただき行って来ま〜す。

とりあえず河内駅へ。
これから河内駅の隣の入野駅まで歩きます。
電車じゃないの。
そうです。

広島北部の山に登りに行く際はこの先の交差点を右折するのだが今日は直進。

1時間強歩いて入野駅までやって来ました。

入野川に架かる橋を渡って篁山の登山口に向かいます。

篁水をいただいてパワー回復。

それでは篁山の山頂に向けて登っていきます。
山頂付近には竹林寺という古寺があります。
それでは元気に行ってみよう。

天平のみち。どういうことだ?
とりあえずつつじが綺麗だ。
散策コースがあるようなので寄り道していきましょう。

鳥居を抜けると…

七福神の皆様がお出迎え。
お邪魔しま〜す。

それにしてもツツジが綺麗だ。満開だな。

写真の石像は篁山の麓の入野の里で暮らす八千代さん。
篁山の名の由来となった小野篁の母親だ。
山頂にある竹林寺に千日の参拝を続け満願の日に現れた童子に五色の玉を授かりその後生まれた子が「吾はこれ篁なり」と自ら名乗ったそうだ。
一緒に登りましょう。

八千代さん。
最近は獣避けのためこんなフェンスが設置されているんですよ。

登山道脇の梵字岩。
凄い。

ここが篁山登山口のようだ。
さあ張りきっていきますよ。
八千代さんもいきますよ。

姫路瀧。
この先にある松ヶ嶽城のお姫様が洗い物をするためにこの瀧まで通って来ていたことからこの名がついたとか。

この路をねえ。
さぞや大変だったことでしょう。

八千代さん。
少し寄り道をしていきますね。
松ヶ嶽城跡に向かいます。

右手のピンクテープに誘われてまずは松ヶ嶽城の本丸跡へ。

松ヶ嶽城の本丸跡に到着。
木が茂り本丸だった頃の面影がない。
二の丸方面へ向かってみましょう。

二の丸跡には立派な井戸の跡がありました。

三の丸からその先の法面を無理やり下っていたら石垣跡が。
城跡はこうでなくっちゃ。

松ヶ嶽城の南郭跡にある三角点へ。
根性でやって来ました。

おまたせしました。
八千代さん竹林寺に向かいましょう。

八千代さん竹林寺に着いたようですよ。
仁王門をくぐって境内へ進みましょう。

境内のあちらこちらでショウジョウバカマが咲いてますねえ。
可憐で可愛い。

八千代さん太鼓橋を渡りますよ。

篁山竹林寺本堂に着きました。
ご挨拶していきましょう。お邪魔しております。
八千代さんわたしはこれで失礼します。
どうぞお幸せに。

それでは篁山の山頂に向かいましょう。
左手に平賀氏一族の墓。
こんなところにねえ。

少し登ってきたら鐘堂がありました。
せっかくなので突かせていただこう。ゴーン。

鐘楼からの眺め。絶景だ。

三重塔跡に鎮座されます阿弥陀如来様。
篁山の山頂へは阿弥陀様の向かって左手から向かいます。

篁山の山頂はこの先。
テープ頼りに進んでいきます。

山頂かなと思ったら違った。
木々の間から河内の町が見える。

篁山の山頂に到着。

山頂に五輪塔が埋もれている。
お寺の方はご存じなのだろうか。

それでは篁山から下山しましょう。
どこかでお昼ごはんを食べたいなあ。

竹林寺の仁王門まで戻って来ました。
仁王門からの眺め。
ナイス!

下山は河内駅方面に向かいます。
山火事注意。
存じております。

篁山は昼は朝廷で天皇に仕え夜は閻魔庁で閻魔大王に仕えていたと伝わる小野篁にゆかりのある地。
没後100年して生まれ変わり竹林寺の住職になったとか。

こちらの道を下ります。

所々ツツジが咲いてるねえ。

車道へ合流。
引き続き河内駅方面へ下ります。

花王の滝だとか。

車道を下って来ましたがここから右手のコースへ。

人里まで下りて来ました。
お昼ごはんを食べ損ねてしまった。まあいいか。

沼田川に架かる篁橋を渡ってます。

芸州大河村。
いやいや河内まで戻って来ました。
昔は大河村って呼ばれていたのかなあ。

河内駅自転車駐車場に戻りました。
さあ帰ってお昼ごはんを食べよう。
それにしても暑くなってきました。夏が思いやられる。